『生きる』ということ (3/10)
- 公開日
- 2014/03/10
- 更新日
- 2014/03/10
校長室の窓
3年前の明日、3月11日は、東日本大震災の起こった日です。この地震では、大きな津波が押し寄せ、さらに原子力発電所の事故が発生し、多くの人が亡くなり、未だに避難生活を余儀なくされています。
新聞やテレビでは、特集が組まれ、様々な報道がされています。被災した人たちの姿や言葉から、私たちは「生きる」とはどういうことなのか教えられます。
以下に、事例の一部を紹介します。
『車で津波から逃げる途中、車ごと波に飲まれていまい、自分だけが何とか開いた窓から脱出します。・・・この中学生は、流された家族の遺体が見つかって、「間違いありません。僕のお母さんと、兄弟です」と確認してきた後に、「自分に何か手伝うことはありませんか」「死んだ家族のためにも頑張らないと・・」といって、被災者のボランティア活動に励みました。』
『消防団の分団長さんは、地域の人たちに「大津波が来るぞ。すぐ逃げろ!」とポンプ車に乗り込んで怒鳴りつけるように、強い言葉で叫びました。住民の中には「津波は来ないよ」とか「堤防がしっかりしているから大丈夫」と思って逃げない人もいました。しかし、分団長さんはポンプ車ごと津波にのみこまれてしまいます。その遺体は、はんてんを羽織っていました。妻は、「夫の命と引き換えに、地域の人たちの命を救ったと信じたい。はんてんと共に、これからも生きていきたい」と語りました。』
ボランティアの中学生も、命をかけて地域を救った消防団の分団長さんも、「人を助けること」「人に喜ばれること」のために生きていることが分かります。
私たちの身近な問題として、「いじめ」があります。先日の「生活アンケート」の結果からも、「人をいじめた」「人からいじわるをされた」ということが、どの学級からもありました。「いじめ」は「生きる」ことの正反対にあります。「人を助ける」「人に喜ばれる」ことに「生きる」意味があるのです。
私たちは、与えられた命を、最善を尽くして「生きる」「生き抜く」ことが大切です。
(校長)