年頭所感 (1/2)
- 公開日
- 2013/01/02
- 更新日
- 2013/01/06
校長室の窓
新年、明けましておめでとうございます。本年も大治西小学校の教育活動に対して、ご理解とご支援を宜しくお願いします。
私(校長)は、除夜の鐘とともに、地域の神社を三カ所参拝をしてきました(子どもの時から、続けています)。願い事は、・・・です。
西小の子どもたちは、今頃、家族や親族に包まれた温かいお正月を過ごしていることでしょう。それを願わずにはおれません。子どもにとって、家族は心のよりどころです。この愛がしっかり確認できていれば、多少の失敗や脱線からも、立ち直っていきます。家庭は「心の基地」です。厳しさと温かさの中で、その子の生涯の気質を培っていきます。例え、直接、声をかけてもらえなくても、手をぎゅっと握ってもらわなくても・・・。
東井義雄「いのち」の教え から
ぼくのむねのなかに (小一 男子)
「おかあさん、おかあさん」ぼくがいくらよんでも、へんじをしてくれないのです。あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。なくなってしまったのです。きょねんの十二月八日に、かまくらのびょういんで、ながいびょうきでなくなったのです。
いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく一ねんせいになり、まいにちげんきに、がっこうにかよっています。あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな一ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。
ぼくは、あかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。そのおかあさんまで、ぼくだけひとりおいて、おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。
いまは、おじいさん、おばあさんのうちにいます。まいにち、がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかっていってまいりますをするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。べんきょうをよくしておりこうになり、おとうさん、おかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります、
でも、がっこうのせんせいが、おとうさん、おかあさんのおはなしをするとき、ぼくはさびしくてたまりません。でも、ぼくにもおかあさんはあります。いつもむねのなかにいて、ぼくのことをみています。
ぼくのだいすきなおかあさんは、おとなりの、みいぼうちゃんやよっちゃんのおかあさんより、いちばん、よいおかあさんだとおもいます。
おかあさん、ぼくはりっぱな人になりますから、いつまでも、ぼくのむねから、どこにもいかずにみていてください。